キャラ時計 キャラクターは笑顔を運ぶ宝物

着ぐるみの中の人

着ぐるみの中の人

昔、着ぐるみの中の人になったことがあります。
着ぐるみの中の人なぞいない!内臓だ!と言うのは某ネズミの国の話であって、着ぐるみの中の人はいる・・・。
ただ、文楽の人形遣いさんたちと同様で、始めでこそ人形を動かす人が気になったりするけれど、次第に人が見えなくなり、気にならなくなるのはその人形に人格を宿るからだと思ってます。それは着ぐるみにも言えることで、中の人は最初でこそいる!と思っていてもそのキャラクター自体に“命”が宿ると中の人がいるなんてことが気にならなくなる。だからこそ、着ぐるみの周りに子どもたちが集まっているのを見ると、あぁこの着ぐるみは生きてる!と思ってしまう・・・。

自分が着ぐるみの中の人になったのは、モダンチョキチョキズというバンドの、全国ツアーライブを演出させていただいた時。その時のツアーは『くまちゃんツアー』というタイトルで、CDアルバムのジャケットに登場した熊のキャラクターを、ライブにも使用しようということになったから。

そのくまちゃんは、オスとメスの二体あって、オスの方はボーカルの、今は女優として活躍している濱田マリさんとデュエットする重要な役割が与えられていました。彼女は生歌、くまちゃんの方はあらかじめ録音していた歌声に合わせて踊る・・・。曲調のイメージで社交ダンスのような演出をしていたんですが、中に入ってくれていた人がどうにも曲に合わず、ズレまくる。どうしようかと悩んでいた時に舞台監督が「自分でくまちゃんやった方がいいんじゃないですか」。シンプルな提案でしたが自分にとっては灯台下暗し。そうか!ということで自分がくまちゃんの中の人に。
でも実際に中の人になってみると・・・これが非常に難しい。まず、視界のせまさに恐怖心が生まれて焦る。そして着ぐるみの動きにくさに苛立ち、中の暑さに疲弊。さらにメスのくまちゃんの中の人も務めることになり、女性らしさの動きの大変さにも苦労したっけ・・・。
その時学んだのは自分の思っている動きの2倍を意識して手や首など動く。視界の狭さは歩数と、隙間から見える範囲のポイントをだけを覚えてカバーするというものでした。それでも何カ所かは、楽器のアンプに当たったり、袖幕に引っかかったりしましたけど、着ぐるみの中の人の充実も味わいました。それはライブ会場で子どもさんを含むお客さんが、近寄ってきてくれてカワイイと言ってくれた時。この時は、自分は中の人だということを意識せず、くまちゃんが憑依してた時だったんだろうなぁと今は思います。

もし今、中の人になるなら、どんなご当地キャラクター?と聞かれれば信州の駒ヶ根市のヒッヒーの中の人になりたい。キャラが濃すぎるのと、老ヒヒという設定がパフォーマンスしがいがあると思うので・・・。

Tweet about this on Twitter0Share on Facebook0